紙以外には手を出すな

名古屋の夏は今年も暑かった。紙の聖地と呼ばれるその店に行くために、新幹線を名古屋駅で降り、名鉄で神宮前駅に着くと、眼の前に青々と茂った熱田神宮の杜が見える。そこを貫く幅広の参道を歩き、西側の鳥居を抜けて少し歩くとその店にたどり着いた。店の名は「紙の温度」。日本全国の手漉き和紙、そして世界中の手漉き紙を手にとって見ることができる紙の専門店だ。

社長の花岡成治さんは、紙の卸業を営む花岡家の長男として生まれた。4代目だった。持ち前のガッツと勤勉さで、会社を名古屋で2番目の規模の家庭紙卸売業に成長させ、年商は30億を超えた。しかし、主力の家庭紙(トイレットペーパーやティッシュペーパー)は外資の参入、量販店の台頭により、利幅が極端に減り続けた。同業者の中には売上が大きくても資金繰りに行き詰まり、倒産するところも出てきた。

「このままではうちもいつ潰れるか分からない。」

そう思った花岡さんは思い切った決断をする。手すき和紙の小売業への業態転換だ。50歳での再スタートだった。

「何で勝負すべきかを模索しながら全国を回っているときに、京都のとある工房で見た紅型和紙に感動して、こんな美しい紙が日本でまだ作られているなら、和紙で行こうと決めたんです。」

花岡さんは一見時代遅れの工芸品に、本質的な何かと、ビジネスの可能性を感じた。しかし、一心不乱に働き会社を大きくした花岡さんが、一枚の和紙との出会いで小売業への転換を決めるとは、どういうことなのだろう。そう私が言うと、

「祖母はいつも伝統的な柄の着物を着ていました。外商さんがうちに来て反物を広げるのを私もよく見ていました。そして祖父は骨董好きで、家には日本の古びた道具がたくさんありました。そんな環境もあって、日本的な感性が磨かれたのかも知れません。」

そう教えてくれた。とはいえ、そこは実績のあるビジネスマン。闇雲に小売業を始めたわけではない。当時、経営指導を受けていたマーケティングの第一人者から授けられた

「社員10人以内で経営しろ。そして紙以外には手を出すな」

という助言を忠実に守った。

和紙で勝負すると決めてから、日本全国の手漉き和紙の産地と職人を訪ね歩いた。そして、その探索はいつしか日本を飛び出し、世界中の手すき紙を求めて海外を旅した。現在「紙の温度」には、日本各地の手漉き和紙の他、花岡さんが世界中で買い付けた珍しい手すき紙が豊富にストックされており、中には漉き手がいなくなり、二度と手に入らない紙もある。恐らくは日本中、いや世界中探してもここにしかない紙がいくつもある。そんな奥深い紙の話を知ってもらいたいと、花岡さんはお店で「紙の寺子屋」を開いている。紙を求めて世界を旅した花岡さん自身の言葉で、紙だけを伝え続けている。

文・吉川武志


紙の温度
〒456-0031 愛知県名古屋市熱田区神宮二丁目11番26号

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